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教えを請うものなら誰であろうと・・、五木寛之さんの仏教への旅(2)

 投稿者:奇跡の人・ブッダ  投稿日:2013年 8月19日(月)19時53分26秒
返信・引用
   題 : 教えを請うものなら誰であろうと・・
         五木寛之さんの仏教への旅(2)
     (齢80の仏陀は、ただひたすら歩み続ける)

ナレーション: 出発点・霊鷲山から旅の終わりとなった
     クシナガラまでの道のりは、およそ400キロ。
      この道を、80歳の仏陀は、ひたすら歩き続
     けました。
      仏陀が最後に歩んだ道を、74歳を迎えた五
     木寛之さんが、辿ります。
      霊鷲山から北西に16キロ。仏陀は、ナーラ
     ンダ村に立ち寄っています。
      行く先々で、仏陀の元には多くの人々が、集
     まってきました。
      王侯貴族からカースト街の差別を受けている
     人たちまで、さまざまな階層の人々です。
      仏陀は、教えを請うものなら誰であろうと分
     け隔てなく、法を説いたと言われています。
      仏陀・最後の旅は、いつもと変わらぬ、布教
     の旅として始まりました。
五木さん: あーなんだか、もう本当に夢の様な幻想的な
     風景ですねー。木があって、なだらかな丘があ
     って、その向こうに また木陰に白い塔がある、
      村の人たちが、三々五々、ここに座ったり
     腰掛けたり、子供達が走り回ったりしています
     が、自然の中に、
     こんな場所があるなんて、何と贅沢なことなん
     だろうと思います。『ナマステジー。・・ナマ
     ステジー』
     (一つの堂に来た。あたりを見渡す、五木さん)
      えーっ、暗くて見えませんけども、この中に
     あるのは仏陀の坐像ですね。釈迦牟尼坐像。
      ナマステジー。あのーチョット伺いますけれ
     ども、この塔の中にある仏像は・・・?
インドの住民: 仏陀の像です。お釈迦様の像です。
五木さん: 何時ごろからあるものなのですか?
インドの住民: むかしむかしからあります。
五木さん: 昔々というと、おじいさんの代からですか、
     もっと昔ですか?
インドの住民: 祖父の親の前から さらに前から。
五木さん: すごい、これは驚きました。ほー、この丘の
     上の小さな祠の中に、・・・いやー、まさしく
     これは仏陀の坐像です。ほーっ。・・・イヤー
     驚きました。素晴らしい仏像ですけれども、相
     当古いものだと思いますが、とにかく立派なの
     ですよね。
      シルエットといい、バランスといい それに
     しても、この右手とお顔の損傷というのは実に
     生々しい。インドの歴史のありようを感じさせ
     てくれる様な気がします。
ナレーション: ナーランダに心行くまで留まった仏陀は、
     ある日、弟子のアーナンダに こう告げます。
     『さー、アーナンダよ、パータリ村へ行こう』
      仏陀は、三つの袈裟と托鉢用の鉢一つだけを
     だずさえてパータリ村を目指し歩みを進めます。
      その後ろには、仏陀を慕う多くの修行僧がつ
     き従っていました。
インドの祈りの歌: 私は仏陀に帰依します。
        私は仏法に帰依します。
        私は僧伽(そうぎゃ)に帰依します。
     (参考)僧伽:〔仏〕〔梵 sagha の音訳〕仏
       教修行者の集団。僧侶の集団。広義には、
       在家を含む仏教教団全体をいうこともある。
       和合衆。和合僧。僧祇(そうぎ)。
ナレーション: ナーランダからパータリ村までは、およ
     そ90キロの道のりです。
映 像:(悪路で自動車の中で大きく揺れる、五木寛之さ
     ん)。    (つづく)
.
  (詳しくは、以下のブログへ)
URL: http://blog.goo.ne.jp/hanakosan2009 /
URL: http://32983602.at.webry.info/
 
 

汚れからの「まったくの解脱」、五木寛之さんの仏教への旅(1)

 投稿者:奇跡の人・ブッダ  投稿日:2013年 8月19日(月)03時22分0秒
返信・引用
  題 : 汚れからの 「まったくの解脱」
         五木寛之さんの仏教への旅(1)
     (You Tube 聞書き):何度もオン・オフしな
      がら、また調べながら作りました。
映 像 : 霊鷲山(りょうじゅせん)の映像。
     インドのビハール州のほぼ中央に位置する山。
     仏陀(釈迦佛)が無量寿経や法華経を説いたと
     される。

ナレーション: 誰にもやがて訪れる死。
映 像: ハーハーと息を弾ませながら霊鷲山の階段を
      登る 五木寛之さん。
ナレーション: 人生の旅路の最後で、人は、老いや死と、
      どの様に向き合えば良いのでしょうか。
      およそ2500年前、その問いに一つの答え
      を出した人が居ます。
五木さん: あー。もう少しだ。・・・。アー見えた。
ナレーション: その人の名は、
      ゴーダマ・シッタールダ(パーリ語形。釈迦。
      仏教の開祖)。
      人々からは目覚めた人・仏陀と呼ばれました。
五木さん: 最後の階だ。・・・。アー・・・。
    ナマステ。ナマステー。(遠くから、経を上げる
     声が聞こえる)。
    (参考)ナマステ: サンスクリット語、インド
    やネパールで交わされる挨拶の言葉。
ナレーション:生きること、老いること、病(やまい)、
     そして死。
     人生は苦しみに満ちている。
     仏陀は、その苦しみと、「 共に生きること 」
     を説き続けました。
(キリスト教は「人は生まれながらに原罪がある・救って
    貰う」とは違う)
五木さん: 「仏陀、さらまんがっちゃーみ」。「仏陀、
     さらまんがっちゃーみ」。・・・
      「何という静かな場所なんだろう」。
ナレーション: 作家・五木博之さん。仏陀が、最晩年に
     至るまで教えを説いたこの霊鷲山を初めて訪れ
     ました。
五木さん: ちょうど、齢80を迎える頃に、この霊鷲山
     に滞在していた仏陀は、そこから山を降りて、
     そして、大変困難な旅、ガンジスを超えて、北
     へ北上するという、6ヶ月・数百キロにおよぶ
     旅に出発する訳です。
      そして、その最初の出発点がこの霊鷲山、
     一体、仏陀が80歳になって何を感じ、そして、
     大変困難な旅に出発する、その最初の動機は何
     であったんだろうというふうに勝手に想像する
     んですが、人間というものは、ある時期に達す
     ると、自分の人生というものを振り返ってみな
     がら、そして、その自分の人生の締めくくりと
     いう様なことを 否でも応でも感じない訳には
     いかない訳ですね。
      自分自身も、この70歳を超えて、仏陀が死
     を迎える死への旅である、そして、最後の旅で
     ある その仏陀の死の旅の足跡を、自分自身で
     歩いてみるということを自分の人生に重ねてみ
     ますと、何とも言えない不思議な感じがします。
     (霊鷲山にある仏像に手を合わせる、五木さん)
ナレーション: 悟りを開いて45年。常に布教・伝道の
     旅にあった仏陀。80歳で、ここ霊鷲山を立ち
     ます。
      それが最後の旅になりました。
      苦難に満ちた旅の中で、仏陀その人は、いか
     に老いを受け入れ、病(やまい)に耐え、そし
     て、どの様に死を迎えたのでしょうか。
      およそ2500年前、釈迦族の王子として生
     まれながら、出家し、苦行のはてに悟りをひら
     いた仏陀。
      その教えは、時を越え、多くの人々の中に広
     まって行きました。
      人は、何故、苦しむのか、苦しみと如何に向
     きあうのか。
      仏教2500年の歩みは、その問いかけの歴
     史でもありました。
      21世紀を迎えた今も、人々は変わらず多く
     の苦しみを抱いています。
      その中にあって仏教は何をなし得るのでしょ
     うか。
      シリーズ・21世紀・仏教への旅。第一集。
      作家・五木博之さんが 仏陀・最後の旅をた
     どります。
字 幕: 第一集 ブッダ最後の旅 インド
ナレーション: さまざまな伝説に彩られ、なぞに満ちた
     仏陀の生涯。しかし、その晩年については克明
     な記録が、いくつかの経典として残されていま
     す。
      大般涅槃経や、ダイパリミッパーナ経。
      そこには仏陀の死と、最後の旅の様子が記さ
     れております。霊鷲山から旅立つ前、仏陀は弟
     子達を集め、悟りに至る道について次のように
     説きました。
        戒律と共に修行して
        完成された精神統一は
        大いなる果報をもたらし、
        大いなる功徳がある。
        精神統一と共に修養された智慧は、
        偉大な果報をもたらし、
        大いなる功徳がある。
        智慧とともに修養された心は、
        もろもろの汚れ、すなわち、
        欲望の汚れ、
        生存の汚れ、
        無明の汚れから
       『 まったく解脱 』 する。(つづく)
.
  (詳しくは、以下のブログへ)
URL: http://blog.goo.ne.jp/hanakosan2009 /
URL: http://32983602.at.webry.info/
 

嘘を言っていたら、深まりません・・。

 投稿者:奇跡の人  投稿日:2013年 8月14日(水)15時20分3秒
返信・引用
   題:嘘を言っていたら、深まりません・・。
...(真を求めて 皆様と共に幸せになりたい)
.
 キリスト教は、『1神教の壁』があって・・、
 キリスト教より早くに成立した仏教の影響は受けていま
せん・・と言う。
 これは、キリスト教の良くやる嘘です。
 キリスト教は、色々な面で、仏教の影響を受けています。
 例えば1例ですが、地獄の概念です。
 キリスト教の「地獄」の概念は、まったく、仏教の影響
を受けています。
 「裁かれて天獄にはいる。そしてまたは、はいれない人
もいる」という、キリスト教の宗教概念は、完全に仏教か
らの影響です。
 (「マルコによる福音書」9・48)に、「地獄では蛆(
うじ)尽(つ)きることも、火が消えることもない。人は
皆、火で塩味を付けられる」とある。
 また、(「マタイによる福音書」25・41)に、「呪わ
れた者ども、わたしから離れ去り、悪魔とその手下のため
に用意してある永遠の火に入れ」。
 イエスが居たナザレは、交通の要衝(ようしょう)、異
邦人が多く居た。
 また、インドの佛教宣教師も、「一神教の壁」と称する
ものなど何の関係もなく、越え、パレスチナの地へ宣教に
来ています。
 イエスの思考形態に、仏教的な面が見られるのは、イエ
スの生まれ育った地に多く居た異邦人が、インドから持ち
帰った仏教的考え方に影響を受けていた。
 また、イスラム教には、「ラザー」という「火炎地獄」
があり、「キリスト教徒が入(い)れられる地獄」だとさ
れている。
 その「キリスト教徒が入れられる地獄」は、イスラム教
の教義で決められています。
 キリスト教の地獄の教義・宗教概念は、「永遠に責め苦
を受ける」となっています。
 しかし、このキリスト教の教義は、まったく慈悲心がな
い状態です。
 「攻め・イジメ一本やり」です。これが、キリスト教の
考え方であり、教義なのです。
 この点、仏教の地獄は、「一定の期間、罪を償(つぐな)
うところ・場所」とされています。
 そこには、「救いの道」があります・・その様な、教え
を説いています。
 キリスト教は「無限の責め苦」という宗教概念で、救い
はまったく無い、ありません。
 キリスト教の「愛の宗教」は、この様な宗教概念・シス
テムで、救いの道が無い考え方・教義で・・愛?・・と、
疑問が・・。
 これで、どこで愛を説いて居るのですか?・・と、言い
たいのです。
 キリスト教の「愛の宗教」は、嘘宣伝・プロパガンダな
のです。実態面で、愛となっていないのです。
.
 この無慈悲さに気付くいたキリスト教は、
 大分、年月が経過した後、
 仏教的な地獄の概念を、キリスト教会は作った。
 気付きましたか、良かったですね、おめでとう・・です。
 しかし、プロテスタントは、今でも、頑(かたく)なに
拒(こば)んでいます。『責め・イジメ一本』です。
 この様な、慈悲ある地獄の概念はありません。
 「最終的に、人類を救うという宗教概念」でなければい
けません。
 煉獄の宗教概念を取り入れたキリスト教と、
 拒んでいるキリスト教という状態です。
 ちなみに、プロテスタントは、「告解」も否定していま
す。
 いずれにしても後追い宗教=キリスト教です。
 人類救済は表面だけの言葉です。実態は実際は、救うこ
とはできない教義になっています。
 嘘ばっかり言っている宗教では真実は深まりません。
   (詳しくは、以下のブログへ)
URL: http://blog.goo.ne.jp/hanakosan2009 /
URL: http://32983602.at.webry.info/
 

そしてまた、嘘をついた事例が不幸を・・。

 投稿者:民からの声  投稿日:2013年 8月10日(土)01時10分8秒
返信・引用
   題:そしてまた、嘘をついた事例が不幸を・・。
...(真を求めて、皆様と共に幸せになりたい)
.
 キリスト教の十字軍も、
 キリスト教の酷(ひど)い嘘宣伝で、
 皆様は間違った印象・記憶をキリスト教にさせられています。
 キリスト教は、次の様に言った。
 「セルジュク・トルコが、聖地エルサレムへのキリスト教徒
の巡礼を迫害している」・・と。
 しかし、事実は違った。
 研究が進んで来た、今・現在、研究の結果では、まったくの
キリスト教の作り話で、嘘と分かった。
 当時のキリスト教の教皇や聖職者たちが、自分たちだけの利
益を目的に、事を大げさに作り上げた話だった。
 この事で、なんと多くの人たちが死に、
 また、なんと多くの人たちが、人生を狂わされたかである。
 まったく『罪作りなキリスト教』である。
 「神、それを欲し給う」とキリスト教聖職者たちは煽(あお)
った。
 民を死地へ赴(おもむ)かせた。
 イスラム教側にとっては、このキリスト教の攻撃は、一方的
なキリスト教の攻撃となり、
 イスラム教とキリスト教との無益な戦いが始まった。
 イスラム教側は、キリスト教側の攻撃の目的が分からない状
態であった。
 しかし、「ジハード(聖戦)」として戦った。
 キリスト教の教皇の無益な欲望に酔った、ゴマスリ聖職者た
ちの「無益な戦争」は、200年も続いた(1096から1291年)。
 結果は、キリスト教側の目的は失敗に終わった。
 同じキリスト教である「キリスト教正教会」を攻撃するとか
滅茶苦茶だった。
 エルサレムの目的地に行ったのは1回だけのテイタラク。
 十字軍の行軍する道は、略奪の強盗軍団だった。
 しかし、最大の不幸は、この事件を切っ掛けに、キリスト教
側とイスラム教側が憎み合う状態になってしまった事だった。
 この様な状況を作った長い年月の無益さを起こしたキリスト
教の罪は重い。
 イスラム教側は、キリスト教軍を「十字軍」と呼ばずに、た
だ、「フランク人」と呼んだ。
 そして、更に不幸な事は、この十字軍の無益な攻撃は、攻撃
目的の分からないイスラム教側に「ジハード(聖戦)」を持っ
たスンニー派主義が生まれてしまった事だった。
 訳の分からないキリスト教側からの、何度も何度も繰り返さ
れる攻撃。
 イスラム教側の戦闘的な不寛容な派の誕生となった。
 それまでは、イスラム教は寛容さがあった。
 また、当時は、イスラム教側の方が学問的に、また、技術的
に進んでいた。
 キリスト教側は、「ガラス工芸技術」とか「砂糖生産技術」
とか医学などの知識を得た。
 なのに、キリスト教は、まったく逆のことを、得意のプロパ
ガンダ(嘘宣伝)で、
 イスラム教側は、野蛮で、無知・劣っていると嘘をついた。
 そしてまた、この様な、キリスト教が嘘をついた事例が、後
年まで、後々まで続く不幸を生んでいるということが分かった。
    (詳しくは、以下のブログへ)
URL: http://blog.goo.ne.jp/hanakosan2009 /
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民からの批判の声があがったらおしまい・・。

 投稿者:民からの声  投稿日:2013年 7月29日(月)23時25分32秒
返信・引用
   題:民から批判の声があがったらおしまい・・。
...(真を求めて 皆様と共に幸せになりたい)
.
 キリスト教は、非常に矛盾の多い宗教だ。
 それ故、人々に正しい示唆(しさ)を与え得ない宗教、与え
ることのできない宗教とも言える。
 その矛盾に気が付いているのか?
 皆は目をつぶっているとしか言えない。
 気が付いているが、「黙っているという状態」。
 卑劣な事をしている。
 例えば、(「ルカによる福音書」19・1~10)に、イエスが
差別のない人だったと説く。
 「取税人という、ユダヤ社会で嫌われていた人の家に行った
りしていた」と、キリスト教聖書に記されている。
 取税人とは、重税に喘(あえ)いでいた民から、武力で統治
権をイスラエルから奪ったローマ帝国側に立って、代わって、
民から税金を取り立てた人。
 民は貧困に喘いでいる中で、取税人は、取り上げた金で、金
持ち状態だった。
 それは、取り立てれば、取り立てるほど、民を「絞れば、絞
るほど」、取税人・個人の金も増えるという形になっていた
ためだった。
 同じ民族の民から、取税人は、必死に、時にはアクドイ税の
取り立てをしていた。
 当然、「ローマ帝国という虎の衣を借る狐」の状態で、
 取税人は最も嫌われていた。
 それでなくても、民は『神殿税』など色々な税でで苦しめら
れていた。
 イエスは、この民を苦しめる取税人の、「苦しめ行為」を知
っているのか、知らないのか、知らない訳が無いのに、
 この取税人の家に上がり込んで、
 金に明かして、旨い汁を吸って得た金で、旨いものの用意が
されたのだろう。
 イエスは取税人の家に上がり込んで、飲み食いをした。
 民は、イエスを「大酒飲み」とか、「大飯食らい」と揶揄
(やゆ)った。
 これだけが、民のしがない抵抗の姿だった。
 しかし、キリスト教は、この様な状況や、民の気持ちを無視
して、イエスを美化した。
 ただ、盲目的としか言えない美化をした。
 「差別をしない」と美しくキリスト教は言うが、
 逆に、「弱い民をないがしろにする『差別』を、イエスはし
ていた」とも言え、この様な事に目をつぶるキリスト教だった。
 卑劣である。弱い者いじめとなっているのである。
 しかし、この(ルカによる福音書)に、イエスが、何故、こ
の様な事をするのかの、イエスの言葉がある。
 それは、取税人も同じ民族なのだからと言っている。
 そんなのは、当り前。
 同民族の仲間の中でどうするのかの話であるのに、ピントが
ずれた話をしている。
 キリスト教は、「(キリスト教の)神の義があれば、人を誅
しても良い」の教義があるが、
 その教義の考え方から、飢饉の地のイスラエルの民は、飢餓
状態からの脱出のために、隣国へ攻め込んで、隣国の人を殺し、
富を奪った。
 キリスト教の教義の体質にはこの考え方・思想が流れている
が、『イエスも、まったく、これと同じ』。
 「同民族だからいいのだ」である。ピントがずれている。
 同民族の一般大衆の声はどうするのだ???
 同民族なのだから・・と、言って家に上がり込んで、大酒を
飲み、重税に喘ぐ同民族の民の気持ちを逆なでする。
 何ら民の気持ちを汲んでやっていない。一般の人々・弱い民
のイジメである。人格的には失格者である。
 因(ちな)みに、「取税人は誰でもなれる訳ではなかった。
高い金を出して権利を買う。それが買えるという金持ちだけが、
なれる権益だった」。特権階級だった。強者なのである。
 この「強者の特権に取り入ったイエス」だったとも言える。
 甘い蜜をなめて暮らす人・取税人だった。そして、その取税
システムから、自分の腕力で取り立てる人だった。
 悪辣取り立ての記録がある。
 獲り放題の記録もある。
 『金に魂を売った人非人』。同民族を売った状態。
 民が非常に憎んだ人だった。
 この様な人種にとり入っていたイエス。
 もしかだが、「この鼻つまみにとり入ったイエスに、税金上
の特別扱いを受けていたという話・疑惑は否定できない」。
 その様にも考えたいくらいの、「イエスのいれ込みよう」だ
った。
 イエスの『異常な入れ込み』が評判になるくらいだった。太
鼓持ちイエス状態だった。
 民から悪い批判の声があがったら『おしまい』なのである。
        (詳しくは、以下のブログへ)
URL: http://blog.goo.ne.jp/hanakosan2009 /
URL: http://32983602.at.webry.info/
 

当時の、特殊事情の説明・話で構成されている

 投稿者:ななしのひつじさん  投稿日:2013年 7月28日(日)01時31分38秒
返信・引用
  題:当時の、特殊事情の説明・話で構成されている
...(真を求めて 皆様と共に幸せになりたい)
.
 キリスト教の聖書は、「昔はこの様な状況でした」と説明す
るにすぎない本です。
 例えば、(「マルコによる福音書」2・1~12)には、中風の
病気の人が、イエスに癒(いや)されたという話があるが・・、
 これは、古代の当地では、何かその人が悪い事をした報(む
く)い、古代の当地で、決められていた律法を犯したことが、
そうした形で出て来たのだと思われていた。
 悪いことをしたから病気になるという、悪いことをした原因
の結果、病気になるという『因果律』の考え方だった。
 イエスも、この様な『因果律の考え方』を持ち、そう思って
いて、その『因果律の考え方の結果』から行動を起こす人だっ
た。
 また、当時、その人が悪い事をしてないと思っても、先祖の
人が、何か悪い事をしていれば、その結果が色々な病気などの
不幸となって現われてしまうのだ(報い・むくい)ともされて
いた。
 つまり、先祖の報(むく)いが子孫に仇(あだ)となって表
れたと考えられていた。
 このイエスの考え方は、原始の古代時代には良くある『古い
考え方』だった。
 ユダヤ教は明らかにその様に考え、ユダヤ教のイエスもその
様な宗教性に捉(とら)われ、染まっている人だった。
 故に、イエスは、この考え方に則(のっと)って行動をした。
 今・現代の考え方とは、まったく違う行動パターンだった。
 そして、人間が罪を犯しているかどうかの尺度として律法と
いうものがあった。
 一番重要な当時の守るべきものと考えられていた。
 イエスもこの考え方から「病気癒しの行為」をした。
 それは、神から与えられたものと考えられており、
 また、神の命令とも考えられていた。
 そして、神との約束とも考えられており、
 神と交わされた契約なのだとも考えられていた。
 その中には、神と人間との契約以外に、人間と人間との契約
も含まれているというおかしな所もあった。
 その様な考え方から、守らねばならない契約として古代人の
この頃の人は『この律法』を重要視した。
 故に、その中風の本人か、または、その中風の人の先祖の人
かが、律法を破っていると考えられいて、この様な病気になっ
たとされた。
 律法を破っている者は、神に喜ばれない者であるとされ、そ
して、そう考え、この様に、律法は非常に怖い報いがあり、だ
から、その怖さから逃れたい、報いを避けたいという気持ちか
ら、律法は守らねばならないもの、守るべきものとされていた。
 イエスの活動は、この様な、古代の観念の中で行なわれた。
 以上の様な、現代には無い、色々な細々(こまごま)とした
事情の説明を受けない限り、そのほとんどが理解できない、理
解不能な、当時だけの特殊な事情の下(もと)での話だった。
 キリスト教の聖書は、この様な、古代の特殊事情の説明・話
で構成されていて、だからその当時の古代は、「こうしました」
と、その説明があるという本なのである。
 現代とは、まったく、異質な次元の話で、
 その特殊な事情ゆえ、
 今・現在では、何ら得るべき様な所は無いといえる。
 結局、古代の、針の先で突(つつ)く様な特殊な事情のもと
で、イエスが、その特殊事情で「ああした」「こうした」とい
う話なのである。役に立つような所はない。
      (詳しくは、以下のブログに)
URL: http://blog.goo.ne.jp/hanakosan2009
URL: http://moppo28.blog.so-net.ne.jp
 

伝道活動について

 投稿者:ぽんぽこりん  投稿日:2013年 5月21日(火)16時57分23秒
返信・引用
  題:キリスト教の伝道活動について
...(真を求めて 皆様と共に幸せになりたい)
.
 キリスト教の実体が判らなかった明治維新は、
 西洋のすぐれた学問などの知識を得たいの機運から、
 日本人の優れた特性「進取の精神」から、
 西洋の学者や教師を招いて『何でも学ぶ時代』だった。
 何でもかんでも勉強しよう、学ぼうの日本の民だった。
 その様な時代は、「西洋の総べてが良い」の気運で、
 その時代の想いからキリスト教もよいと思った。
 それ故、進取の思考の明治の学究の徒の人たちは、キリスト
教も一生懸命に学んだ。
 そして、まだ、よく分からない内にキリスト教化した人もい
た。
 しかし、今現在、キリスト教の事が、種々、分かってきた時
点において、
 また、最近の聖書学などのキリスト教研究において、
 それらの研究成果の情報から、キリスト教の問題点が、
種々、分かり、明らかとなって来た。
 しかし、それ故、キリスト教は、プロパガンダ(キリスト教
は素晴らしいという嘘宣伝)に専心している。
 その為もあり、その悪さ加減が隠されているけらいがあった。
 今、西洋・ヨーロッパは、脱キリスト教が、大分、進んでいる。
 アメリカにおいても、知識層は、特に、脱キリスト教の状況と
なっている。
 それ故、キリスト教側も、教勢の維持の行動を強く行なって
いて、例えば、学校などの場でのキリスト教教育について、問
題が多発し、裁判事例も多い状況となっている。
 その多くで公正な宗教教育が大義である事により、キリスト
教側の敗訴が続くという状況の中にある。
 その様な現状の世界の中で、日本においても、活動や働き掛
けがある。
 例えば、NHKを利用したキリスト教の巧妙なる伝道行為が
多く見られる。
 以下は、その事例の1つ。
(参考)しん‐しゅ【進取】 みずから進んで物事に取り組むこと。
「―の気性に富んだ人」
(参考)がっ‐きゅう【学究】 もっぱら学問の研究に携わること。
また、その人。「―の徒」「―肌の人」
.
ーーー1事例ーーーー
題:NHK、キリスト教に偏する放送をし続けている。
.
 拝 啓、
 御仕事、ありがとうございます。
 下記はNHKへ送信した文です。
 NHKは、何度、申し上げてもキリスト教に偏しています。
 (キリスト教の美化行為と他宗教の侮蔑行為)をする放送を
し続けています。
 キリスト教の『巧妙なる伝道』行為となっております。まっ
たく改まりません。
 是正するように促していただけないでしょうか。
 よろしくお願い申し上げます。         敬 具
 ーーー(NHKへの送信文)ーーー
 題:NHK、キリスト教に偏する放送をし続けている。
.
 2013・5・18、NHKラジオ第一、am4:05~、番組名:「ラ
ジオ深夜便、明日への言葉・ハンサムに生きる」、話者:佐伯
順子氏(同志社大学大学院・教授)、アナウンサー:中村宏氏
(NHK職員、明治学院大学卒)、
 NHKは、キリスト教に偏する放送をよくしますが、今まで、
その数々の行為を指摘させてきましたが、改まりません。
 本日の標記の番組も、この類いの放送でした。
 内容は、NHKが、日曜日の大河ドラマと銘打ってNHKが力を
入れて放送しているドラマの主人公の「八重」を絡め、キリス
ト教を美化する、偏した放送内容でした。
 結局、放送内容は、「キリスト教の巧妙なる伝道行為」と
「NHKの番組宣伝」でした。
 NHKは、キリスト教系の大学教授を話者にして、「キリスト
教の巧妙なる伝道行為」を放送することが非常に多い状況です。
 本番組もそうですが、この様な行為、NHKという絶大な影響
力を持つ公器を、あたかも私物と化し、
 キリスト教の伝道行為をするNHK職員もキリスト教系の大学
を出身とするNHK職員が多い状況です。
 「キリスト教を美化し、その他の宗教をを卑下する放送」。
まったく一面的な見方を、さも正しい様に言います。
 その様な話を大学教授という話者に話させる。
 キリスト教は愛の宗教、キリスト教以外の宗教の愛は、女性
の立場を認めていない。
 他宗教は女性を抑え込んでいると言う。
 まったくキリスト教だけを美化する偏した言い方だ。
 キリスト教聖書を読めばわかること、キリスト教でも兄弟で
殺し合い、親を裏切るなど、「愛あるべきところに愛がない」
という記述などが一杯ある。
 「キリスト教の愛だけが正しい愛だ」と断言する話者。まっ
たく酷い偏った言い方だ。
 まったく洗脳的にNHKの放送媒体を利用して伝道する。
 「平等のキリスト教だ」と美化・宣伝・伝道行為の話が続き、
その類いの話に満ちている。
 仏教にも「平等院」という建物があるのを1例の様に,平等を
説く。
 他の宗教を、この話者は「全くない」と断言し、卑下し放送
する。まったく偏っている。
 他宗教は、あたかも古来の愛だ、駄目なのだという悪印象を
植え付けようとしている。
 キリスト教に関しては素晴らしいの話ばかり。
 他宗教は封建的だという言い方。献身の愛だというが、キリ
スト教もこの愛は説いている。
 キリスト教以外の他宗教は、それが虐げられているという印
象を与える言い方。
 他宗教は古いという印象を与える言い方。
 押し付けられている愛だとは、まったくの言い過ぎ。
 虐げられた愛だとは全くの言い過ぎ。
 他宗教は、キリスト教より劣っているのだと思わせ、洗脳する
言葉。
 キリスト教だけが平等で正しいのだとの独善の話。
 NHKの公共放送で呆れる内容。
 NHKも編集すべき、カットすべき内容を、そのまま放送電波
に乗せてしまったという内容。
 だから八重はキリスト教に引かれたのだと何度も言う。
 NHKの偏頗なキリスト教美化の放送はよくあり、仏教など他
宗教の話は全くない偏した放送状況にあります。
.
(追伸) 明治の人が維新の時、西洋から学んだ事が、今の学問か
ら見れば、悲しいかな陳腐化している。これは止む得ないこと。
 同様に、明治のキリスト教研究も同じことが言える。同様な
レベルなのです。
                (詳しくは下記へ)
参考URL: http://blog.goo.ne.jp/hanakosan2009
  URL: http://moppo28.blog.so-net.ne.jp
 

決して戦争はしない

 投稿者:ガンジー  投稿日:2010年11月 5日(金)01時48分22秒
返信・引用 編集済
  題 : 『決して戦争はしない』

 米同時テロ、追悼式典、
  オバマ大統領は、
   テロの対象となった
     ワシントン近郊の国防総省で演説し
 「 米国は、
     イスラム(教)との戦争に
        乗り出すことは
           決してない 」  と 強調。

 米国は
 「 多様で寛容な国 」
     とも述べ、
       宗教的な対立が広がらないよう
         国民に自制と団結を訴えた。
                (日経2010・9・12)
http://blog.goo.ne.jp/hanakosan2009/

http://ameblo.jp/staff1944/

 

一切の生きとし生きるものは

 投稿者:幸福であれ、安穏であれ、安楽で  投稿日:2010年 5月 8日(土)00時44分59秒
返信・引用
  ブッダのことば

慈 し み

一切の生きとし生けるものは、

幸福であれ、安穏であれ、安楽であれ。

一切の生きとし生けるものは幸せであれ。

何びとも他人を欺いてはならない。

たといどこにあっても

他人を軽んじてはならない。

互いに他人に苦痛を与える

ことを望んではならない。

この慈しみの心づかいを

しっかりとたもて。


ブッダのことばについて

 財団法人東方研究会は、
 中村元初代理事長が、その後半生を傾注し、私財を投じて創立し、
 昭和45年11月、文部省(現在の文部科学省)より財団法人設立の
認可を受けた研究所であります。
 本研究所は、
 「東洋思想に関する研究調査を行い、その研究成果の普及を図り、
 もって学術・文化の発展に寄与すること」を目的としております。
 本研究所の特色は、
 上記の目的を遂行する所にあるばかりではなく、日本の将来を担う
若くかつ有能な研究者に研究継続の機会と場を与えて育成することを
重要な使命としているところにもあります。
 研究員各自の出身の大学院で開始した研究を
 本研究所で継続し、
 幸いにして大学や研究所で定職を得て巣立っていった連携研究員の
数は82名にも達しております。
 中村先生が、
 その86年の人生を学問一筋に打ち込み、
 東西の思想の蘊奥をきわめつくして最後に到達されたもの、
 それは「慈しみ」のこころでありました。
 これこそが先生をして若い研究員のために本研究所を設立させたも
のでもありました。
 先生は、
 ご夫人と共に、東京の多磨墓地にある先生のお墓の横に石碑を建て、
それを「ブッダのことば」と題して後世に残されました。
 この文言は、
 仏教聖典 『スッタニパータ』 から先生が意訳され、
 それをご夫人(中村洛子終身名誉理事長)が書かれたもので、
 しかも1995年の先生の誕生日に発注され、
 1997年のご夫人の誕生日に完成したものであります。
 これは財団法人東方研究会の研究員に示された指針であると同時に、
 怨念と我執が渦巻き、テロの恐怖におののく21世紀の人類へのメッ
セージでもあります。
 なお
 同種の石碑は、
 先生の許可を得て、栃木県足利市山川町の山川長林寺と東京江戸川
区江戸川の二之江妙勝寺に建てられました。
                     2007年5月16日

                       財団法人東方研究会
                        理事長 前田專學
 

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 投稿者:teacup.運営  投稿日:2010年 5月 8日(土)00時34分57秒
返信・引用
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