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葉脈

 投稿者:ゆかり  投稿日:2017年 5月23日(火)20時59分35秒
編集済
   銀河さんとりえさんの分まで清書します。

   葉脈のみるみる伸びる立夏かな    伸太
    薫風わたる河岸段丘       ゆかり
   国境を超える列車に身をおきて    媚庵
    ユーロ紙幣で払ふ飲み代      銀河
   天上の時計が零す月の砂       りえ
    死角にはまだ竈馬棲む        七
ウ  素のままに眠り素のまま夜食とる   桃子
    捩(よぢ)れる君の手にするタオル   太
   腸を抱へて笑ひ明易し         り
    走る男と泳ぐ女と          庵
   西ノ島今もむづかる気配あり      河
    螺髪凍むまで月を弄(ろう)する   え

 七さんの句をお待ちしているところです。雑か冬でお願いします。

◆五十音順既出動詞一覧
ア行:あり、おく、泳ぐ
カ行:抱へる、零す、超ゆ
サ行:凍む、棲む、する
タ行:とる
ナ行:眠る、伸びる
ハ行:走る、払ふ
マ行:むづかる
ヤ行:捩(よぢ)れる
ラ行:弄する
ワ行:わたる、笑ふ
 
 

葉脈

 投稿者:ゆかり  投稿日:2017年 5月23日(火)12時39分48秒
  りえさん、どうも。一句目を頂きます。凍むと弄するも既出とします。さすがに「する」で既出とするのははばかられ…。
七さん、お願いします。
 

葉脈の巻

 投稿者:佐藤りえ  投稿日:2017年 5月23日(火)11時32分57秒
  ラ行? ら、ら、ら…

腸を抱へて笑ひ明易し       り
   走る男と泳ぐ女と     媚庵
西ノ島今もむづかる気配あり    河


螺髪凍むまで月を弄(ろう)する  りえ
鶴が論ずる月開拓史

開拓は島とつきすぎですかね…。よろしくおねがいします。
 

間違えた

 投稿者:ゆかり  投稿日:2017年 5月23日(火)09時44分43秒
  次はりえさんです。スマホだと見ながら書けなくて…。  

葉脈

 投稿者:ゆかり  投稿日:2017年 5月23日(火)09時41分12秒
  銀河さん、どうも。一句目を頂きます。むづかるとありも既出としますが、補助動詞については少し考えます。
 桃子さん、冬の月などいかがでしょう。ラ行が未開拓です。
 

葉脈の巻

 投稿者:銀河  投稿日:2017年 5月23日(火)01時30分37秒
     捩(よぢ)れる君の手にするタオル  太
  腸を抱へて笑ひ明易し        り
   走る男と泳ぐ女と


 西ノ島今もむづかる気配あり    河
 いつせいに象が左を向くときは   河

動詞だけではなくマ行でもしばってくる、こんなのでいいかなあ。 
 

葉脈の巻

 投稿者:ゆかり  投稿日:2017年 5月22日(月)22時55分59秒
   では二句目を頂きます。日本語の動詞っていくつくらいあるのでしょうね。

   葉脈のみるみる伸びる立夏かな   伸太
    薫風わたる河岸段丘      ゆかり
   国境を超える列車に身をおきて   媚庵
    ユーロ紙幣で払ふ飲み代     銀河
   天上の時計が零す月の砂      りえ
    死角にはまだ竈馬棲む       七
ウ  素のままに眠り素のまま夜食とる  桃子
    捩(よぢ)れる君の手にするタオル  太
   腸を抱へて笑ひ明易し        り
    走る男と泳ぐ女と         庵

◆五十音順既出動詞一覧
ア行:おく、泳ぐ
カ行:抱へる、零す、超ゆ
サ行:棲む、する
タ行:とる
ナ行:眠る、伸びる
ハ行:走る、払ふ
マ行:
ヤ行:捩(よぢ)れる
ワ行:わたる、笑ふ

 銀河さん、雑でお願いします。マ行あたり、いかがですか。
 

葉脈の巻

 投稿者:媚庵  投稿日:2017年 5月22日(月)22時42分58秒
  ホントだ。「手」が打越ですね。注意力散漫でした。
では、ところてんには執着しておりますので、改作と新作を。

   メイドカフェにてところてん突く  庵
   走る男と泳ぐ女と      
 

ううむ

 投稿者:ゆかり  投稿日:2017年 5月22日(月)22時24分21秒
   媚庵さん、どうも。打越が「手にする」なので「手つき」とか「手さばき」ではないほうがよいでしょう。もう一句お願いします。
(動詞しばりという過酷な条件下で、普通の連句のように非情な駄目出し)
 

葉脈の巻

 投稿者:媚庵  投稿日:2017年 5月22日(月)22時09分49秒
  ウ  素のままに眠り素のまま夜食とる  桃子
    捩(よぢ)れる君の手にするタオル  太
   腸を抱へて笑ひ明易し        り

    気障な手つきでところてん突く   庵
    水中花投げ入れる手さばき     庵

いかがでしょうか。お捌きください。
 

葉脈の巻

 投稿者:ゆかり  投稿日:2017年 5月21日(日)23時36分49秒
編集済
   伸太さん、どうも。一句目を頂きます。これは五十音順既出動詞一覧をつけないと手に負えませんね。

   葉脈のみるみる伸びる立夏かな   伸太
    薫風わたる河岸段丘      ゆかり
   国境を超える列車に身をおきて   媚庵
    ユーロ紙幣で払ふ飲み代     銀河
   天上の時計が零す月の砂      りえ
    死角にはまだ竈馬棲む       七
ウ  素のままに眠り素のまま夜食とる  桃子
    捩(よぢ)れる君の手にするタオル  太
   腸を抱へて笑ひ明易し        り

◆五十音順既出動詞一覧
おく
抱へる
零す
超ゆ
棲む
する
とる
眠る
伸びる
払ふ
捩(よぢ)れる
わたる
笑ふ

 「飲み代」の「飲む」や「明易し」の「明ける」まで数えると首をしめることになるので、免除とします。

 さて、媚庵さん、苦吟願います(^^);
 

葉脈の巻

 投稿者:伸太  投稿日:2017年 5月21日(日)20時49分32秒
     天上の時計が零す月の砂      りえ
    死角にはまだ竈馬棲む       七
 ウ 素のままに眠り素のまま夜食とる  桃子

    捩(よじ)れる君の手にするタオル  太
    踵(きびす)を濡らす君の漣
    シャンプー香る光る黒髪

動詞を探すのに、連衆が少しづつ真綿で締められる
面白い進行になりそうですね。
お捌き願います。
 

あら

 投稿者:ゆかり  投稿日:2017年 5月21日(日)12時58分16秒
   三句目もあったのですね、すれ違ってしまいました。でも二句目のほうが前句とつながり具合がいいので、このまま二句目で行きます。  

葉脈

 投稿者:ゆかり  投稿日:2017年 5月21日(日)12時35分41秒
   桃子さん、お久しぶりです。シュールな一句目も面白いのですが、ルーズな二句目を頂きます。眠ったあとで夜食をとるところが眼目ですね。

   葉脈のみるみる伸びる立夏かな   伸太
    薫風わたる河岸段丘      ゆかり
   国境を超える列車に身をおきて   媚庵
    ユーロ紙幣で払ふ飲み代     銀河
   天上の時計が零す月の砂      りえ
    死角にはまだ竈馬棲む       七
ウ  素のままに眠り素のまま夜食とる  桃子

 では七吟で巻くことにします。伸太さん、お待たせしました。秋を離れて下さい。恋で行きましょう。動詞しばりなので、必ず動詞は入れて下さい。どうしてと言われても、どうしてもです。で、同じ動詞を使っていけないことにすると、最後の方はかなり厳しいかも知れません。一句の中に二個動詞を入れる人もいるし…。ふふふ。
 

もういっちょです

 投稿者:桃子  投稿日:2017年 5月21日(日)12時26分57秒
  灯火親しわがものとする他人の指

桃子
 

いまいちかなー

 投稿者:桃子  投稿日:2017年 5月21日(日)12時22分4秒
  ひさびさの参加です。
連句はよくわかってませんが、お手柔らかにおおさばきください。

膝と膝あいだに覚めた桃を置く
素のままに眠り素のまま夜食とる


桃子
 

葉脈

 投稿者:ゆかり  投稿日:2017年 5月17日(水)23時32分22秒
   七さん、どうも。二句目をちょっといじって頂きます。

   葉脈のみるみる伸びる立夏かな   伸太
    薫風わたる河岸段丘      ゆかり
   国境を超える列車に身をおきて   媚庵
    ユーロ紙幣で払ふ飲み代     銀河
   天上の時計が零す月の砂      りえ
    死角にはまだ竈馬棲む       七


 初折裏です。秋の句を続けつつ恋の呼び込みなどいかがでしょう。動詞しばりなので、必ず動詞は入れて下さい。どうしてと言われても、どうしてもです。
七吟で巻きたいです。あとお一人、どなたか。
 

葉脈の巻

 投稿者:  投稿日:2017年 5月17日(水)10時45分54秒
  十月生れば風たそかれる     七
死角にはまだ竈馬棲み
心のいそぐ秋の初風

やはり、あいかわりませずの付け句ですが、よろしくお願いします。
 

葉脈の巻

 投稿者:ゆかり  投稿日:2017年 5月16日(火)19時42分15秒
   りえさん、いらっしゃいませ。こちらは初登場でしたでしょうか(いろいろ記憶が混濁しておりまして…)。御句ですが、二句目が俳句臭がなくて面白いと思います。

   葉脈のみるみる伸びる立夏かな   伸太
    薫風わたる河岸段丘      ゆかり
   国境を超える列車に身をおきて   媚庵
    ユーロ紙幣で払ふ飲み代     銀河
   天上の時計が零す月の砂      りえ

 もうお二人くらいご参加頂けないでしょうか。秋の句を続けて下さい。動詞しばりなので、必ず動詞は入れて下さい。どうしてと言われても、どうしてもです。
 

葉脈の巻

 投稿者:佐藤りえ  投稿日:2017年 5月16日(火)18時57分0秒
  こんばんは。参加します。よろしくお願いします。

月光をさらふ紬のさらさらに
天上の時計が零す月の砂
 

いいの、いいの

 投稿者:ゆかり  投稿日:2017年 5月16日(火)18時35分8秒
  まあ、「みしみし」のやることですから…。  

困らせてごめんなさい。

 投稿者:銀河  投稿日:2017年 5月16日(火)17時20分50秒
  怪我の功名、いな。巧妙なフォローをどうも。でも、いいのかな?  

葉脈の巻

 投稿者:ゆかり  投稿日:2017年 5月16日(火)13時17分36秒
編集済
   銀河さん、ありがとうございます。初案の一句目を頂きます。
伸びる→わたる→超える→払ふ、ですね。困ったことになってしまいましたが、委細構わず北の湖のように進みます(いったいいつの時代の人だ…)。

   葉脈のみるみる伸びる立夏かな   伸太
    薫風わたる河岸段丘      ゆかり
   国境を超える列車に身をおきて   媚庵
    ユーロ紙幣で払ふ飲み代     銀河

 次は月の座です。どなたかお願いします。そもそもは捌き人の迂闊なのですが、この際逆手にとってこの巻は必ず全句に動詞を入れる縛りで行きたいと思います。どうしてと言われても、どうしてもです。


 

葉脈の巻 訂正案

 投稿者:銀河  投稿日:2017年 5月16日(火)12時15分11秒
  わたる、超える、走る、くると、と三段跳びのようなので、これは、かえます。



ユーロ紙幣ではらふ飲み代 銀河
金銀銅のメダル重かる    河
 

葉脈の巻

 投稿者:銀河  投稿日:2017年 5月16日(火)10時11分21秒
編集済
   薫風わたる河岸段丘      ゆかり
   国境を超える列車に身をおきて   媚庵



ユーロ紙幣で払ふ飲み代    銀河
オリンピックは走り幅飛び

どうもあい変わらずの付け方ですけどゆかりさん、よろしくおねがいします。ダイナミックな方方、つづいてどうぞ。フットワークを軽くたのしく参加しましょう。
 

葉脈の巻

 投稿者:ゆかり  投稿日:2017年 5月13日(土)20時21分34秒
   媚庵さん、毎度ありがとうございます。二句目は表六句としては面白すぎるかも知れませんね。一句目を頂きます。

   葉脈のみるみる伸びる立夏かな   伸太
    薫風わたる河岸段丘      ゆかり
   国境を超える列車に身をおきて   媚庵

 四句目、雑か秋でどなたかお願いします。五句目が月の座となります。
 

葉脈の巻

 投稿者:媚庵  投稿日:2017年 5月13日(土)20時05分53秒
  媚庵です。また、参加させていただいてよろしいでしょうか。

    葉脈のみるみる伸びる立夏かな  伸太
    薫風わたる河岸段丘     ゆかり

    国境を超える列車に身をおきて   媚庵
    晩鐘を聞きキャンバスをかたづけて

いかがでしょうか。お捌きください。
 

葉脈の巻

 投稿者:ゆかり  投稿日:2017年 5月10日(水)22時50分11秒
   伸太さん、発句をありがとうございます。一句目を多少整えて頂くことにします。

   葉脈のみるみる伸びる立夏かな  伸太
    薫風わたる河岸段丘     ゆかり

 第三は夏を離れて「て止め」でお願いします。どなたか。
 

発句

 投稿者:伸太  投稿日:2017年 5月10日(水)20時11分38秒
    葉脈のみるみる伸ぶる初夏や 伸太
  新緑を幾たび山河越えにけり
  万緑に生かされ人は過客かな

投稿が止まっていましたので、少し責任を感じての発句です。

お捌き願います。
 

修正しました

 投稿者:伸太  投稿日:2017年 5月 8日(月)21時08分59秒
  間延びした返事になりまして申し訳ありません。

ゆかりさん、僕の前投稿に事実誤認が有りました様で、失礼しました。
僕としては、悪い方に間違えた様な気がしないでもないですが、
完全主義者のゆかりさんに敬意を表しまして、卒論の部分を修正しました。
後段に付きましては、当たらずと言えども遠からずとの
ゆかりさんの述懐が有りましたので、修正してません。

ところで、大岡信の「うたげと弧心」をアマゾンで
買おうとして探してみたら、なんと元々950円の定価の本にプレミアムが
付いて、どういう訳か10~20倍近くの売値がついてました。

歌仙は、連衆の各人が底上げして、各々の創作の出来栄えが
それぞれ良くなるという、大岡信の歌仙の原理の本質を探求したいものです。
連衆が複数人の為に相乗効果があるとか、あるいは、お互いが触発されるからとかと言う
曖昧で抽象的な理由ではなくて、根源的な理由を平明に説明出来得る人がいれば、
教示して頂きたいと思ってます。

次の歌仙の案内が出てますね。
前回、前々回と参加させて頂きましたが、
もし、参加者を募るのに難渋しそうであれば参加させて下さい。
 

さて

 投稿者:ゆかり  投稿日:2017年 5月 8日(月)01時30分2秒
   そろそろ次の巻を行きましょうか。どなたか発句をお願いします。
なお、ルールはかんたん連句式目を参考にして下さい。
 

そうでしたか?

 投稿者:銀河  投稿日:2017年 5月 5日(金)18時54分7秒
編集済
  連載インタビューの最後が大岡信の回だったのかも知れませんよ。岩波文庫の年譜とか大岡信研究会の年譜だと、大岡信のインタビューが連載だったようには読み取れないので…。」

そうでしたか?かもしれませんね。あの調子で,10ヶ月続くのもちょっとしんどいな、と思っていたところです。お手間をとらせました、謝謝。

ご教示のブログは、面白いですね。他の話題も。。

もう一つ「夜半亭」というブログがあり、永年続いているようですが、「大岡信と加藤楸邨」についてはでてきませんから、別人のようです。
 

ところで

 投稿者:ゆかり  投稿日:2017年 5月 5日(金)15時03分0秒
  yahanteiという方のブログに加藤楸邨と大岡信の唱和という記事があって、濃密です。
「楸邨句交響十二章」(「現代詩手帖」一九八七・一月号)はそこで全部読めますが、楸邨の句十二句に大岡信が短句を付けたものです。
 

ううむ

 投稿者:ゆかり  投稿日:2017年 5月 5日(金)13時28分56秒
   連載インタビューの最後が大岡信の回だったのかも知れませんよ。岩波文庫の年譜とか大岡信研究会の年譜だと、大岡信のインタビューが連載だったようには読み取れないので…。
 ついでながら、楸邨とのコラボはのちにもう一回あったようですね。年譜の一九八七年(昭和六十二)一月のところに「楸邨句交響十二章」とあります。
 

やっぱり、としカナ?

 投稿者:銀河  投稿日:2017年 5月 5日(金)11時18分22秒
  「現代詩手帖」(昭和61年11月号)の連載インタビュー。が正しい発行年次です。
下の前記のところを訂正しておきました。

ゆかりさん、どうも、すみません、お時間とらせてしましまいました、察するところこれは、十ヶ月、この詩誌に長期連載されたものらしい。そのうちどこかでまた発見出来るでしょう。
 

どういたしまして

 投稿者:ゆかり  投稿日:2017年 5月 4日(木)23時57分23秒
   伸太さん、どういたしまして。あれ、なにか事実誤認が…。
卒論のテーマにしたのは私ではなくて槐さんですよ。

 私自身について言えば、『大岡信著作集』(全15巻、青土社)の配本が高校を卒業する春に始まり、予備校在学中に月一巻ずつ届くのだけど、結局理系に進学してしまったので、文系的なもろもろすべてが大岡信を入口にフリーズしてしまったようなもやもや感があったのです。扱う題材がいちいち『悲歌と祝祷』(1976)だったり『批評の生理』(1978)だったりするのは、そこで時間が停まっていたからに他なりません。
 なので、今回の連句で強力な連衆の皆さんとともにそのもやもやを全部開放した感じというのはあります。伸太さんがおっしゃる「青春の思い出が蘇ると共に」とか「学生時分には昇華し得なかったものを、表現出来たからではないでしょうか?」というのは、だからそれほど遠い訳ではないのです。ぽりぽり。
 

お疲れ様でした。

 投稿者:伸太  投稿日:2017年 5月 4日(木)23時14分53秒
編集済
  精緻で丁寧なる講評を、
ゆかりさん、ありがとうございます。非常に面白く、読ませて頂きました。

ゆかりさん自身は、学生時代からおそらく大岡信に
興味を持たれていたので、今回の追悼歌仙では青春の思い出が蘇ると共に、捌き手として
様々な事が胸中に去来した事と思います。
講評に力強さが漲っているのは、学生時分には
昇華し得なかったものを、表現出来たからではないでしょうか?

僕の付句の「山男マッキンリーから帰らざる」は、
種明かしすると、大岡信の詩を踏まえたものではなくて
ご指摘の様に、キーワードの「さよなら」から、冒険家かつ登山家である
植村直己をイメージしたものです。実際、マッキンリー登山を最後に帰らざる人になってます。

元々、山男ぐらい周囲をはらはらさす存在も珍しいでしょうし、登山家ジョージ・マロリー
がエベレスト登山の理由を問われて「そこにエベレストがあるから」という返答に
僕自身は、従来から余韻深いものを感じてました。


★【Eテレビ「大岡信 美と生きる詩人」から (18/5/14の再放送分)】

槐さんの紹介にも有りましたが、先日、大岡信の追悼番組が
有りました。番組を見ての印象深かった点を二点上げておきます。

大岡信自身、絵画に造詣が深くて、画家との交流も
深いものが有ったようです。
創作意欲が沈滞したと思われる交流の有った画家に対して、葉書に
自分の詩を託して、その画家を励ましてました。

実際、葉書を貰った画家は、抽象的で難しい
詩にも拘らず、創作意欲の心の琴線をその詩に拠って
爪弾かれて、また、以前の様に創作に取り組めるきっかけを掴めたとの事でした。

もう一点は、三人で連句を巻く場面です。
歌人の岡野弘彦さん、小説家・評論家の丸谷才一、後は大岡信の以上三人です。

近代文学ではそれぞれの書き手の個人が、ややもすると
埋没しがち(丸谷才一の持論)だが、大岡信曰く、複数で歌仙(連句)を巻くことによって、逆に、個人個人が
不思議にもくっきりと浮かび上がってくる事がまま有ると言う主張が、
僕としては興味深かったですね。
そして、この辺りを「うたげと孤心」で著述したみたいです。

ゆかりさん、徹夜で講評?されてたみたいですが、
大相撲では行司、歌仙では捌き手が居なくては、興行が立ち行かなくなりますので、
あまり無理だけはしない様にして下さい。連衆の皆さんも同様に考えられてると思います。
新参者が失礼を申しました。
 

ひゃあ

 投稿者:ゆかり  投稿日:2017年 5月 4日(木)23時12分3秒
   令さんのいつもいらっしゃる図書館でのできごとだったのですか。
世の中、なにがどうつながっているものだか…。
 

図書館

 投稿者:  投稿日:2017年 5月 4日(木)19時53分2秒
  下記の京都市の図書館のニュースを見てびっくりしました。
右京中央図書館は私のいつも行く図書館です。
一万冊破棄したなんて知りませんでした。
遺族が蔵書を寄付していた事も知りませんでした。
少し前から、図書館の隅に桑原武夫の書斎が再現されていて、へえー、なんて思って見ていたのですが。
 

インタビューについて

 投稿者:ゆかり  投稿日:2017年 5月 4日(木)14時03分56秒
   『現代詩手帖』の「あらゆる詩歌が場を得ている言語の共和国へ」は昭和61年十一月号ですね。残念ながらその記事は持ってなく、単行本化されているのかも存じ上げません。  

語彙について

 投稿者:ゆかり  投稿日:2017年 5月 4日(木)13時58分21秒
   かつて俳句自動生成ロボットを初めて作ったときに書いた記事で、私は語彙について触れています。あるひとりの作家の詩句の作風は、語彙に多くを負っていると私は考えています。今回巻いた連句は期せずして、大岡ワールドに寄り添ったものになったということでしょう。  

象徴読みについて

 投稿者:ゆかり  投稿日:2017年 5月 4日(木)13時43分16秒
編集済
   銀河さん、ご感想ありがとうございます。京都市立図書館が蔵書一万冊を廃棄したというニュースのせいか、週刊俳句の小津夜景さんの記事のせいか、俳句界隈でも桑原武夫について改めて言及する人が増えている感がありますね。小津さんの記事の7に出てくる「象徴読み」は、この連句を巻きながら紹介したいくつかにも大いに関係があります。 5月 1日(月)14時52分19秒の書き込みで触れた「石のつら」をめぐる谷川俊太郎の読み、あるいは 4月22日(土)18時46分42秒の書き込みで触れた「水音や更けてはたらく月の髪」をめぐる大岡信の読み。
 <俳句の『読み』方を知らぬ>と捨て去ることもできるこれらの読みですが、俳句ではないフォーマットに発展させることにより、大岡は「象徴読み」の魅力を最大限に発揮するための姿を与えているのだとも言えそうです。
 もともとは連句の花の座だった一行の長句「くつがへり花にうるほふ石の面(つら)」の「うるほふ」を命令形に変え、改行を交えた短詩(谷川が鑑賞したのは短詩の姿になってからのものだ)、あるいは楸邨の俳句五句にそれぞれ四行を追加し、五連からなる詩とした「和唱達谷先生五句」。
(では大岡と親交のあった高柳重信が多行俳句を始めたとき、重信は何を考えていたのか。興味は尽きない。)
 

評釈をありがとうございました。

 投稿者:銀河  投稿日:2017年 5月 3日(水)12時12分5秒
編集済
  ゆかりさんは。本当に、よく読み込んでおられるのですね。的確な解釈に感服します。
私にかかわるところ、をひとつ考えました。


《和唱達谷先生五句》は、加藤楸邨の句をそのまま1行に組み込んで,短詩を作り、五聯で一篇とするものです。桑原武夫に迎合するわけではありませんが、字数や行数がおおいことは、圧倒的に有利だと思いました。原句が一句独立であっても、前後の展開の仕方によって立派に一篇のなかの1行の役割をはたしています。

そこには、私の引用のみならず、我々の追悼歌仙で使われた言葉がほとんど詰まっています。大岡詩の引用が主なヒントでほとんどがその着想を借りて進んでいるので当たり前かもしれませんが、「青。自然。挨拶」、別の詩二,三を入れると「上海、蟹、海鳥、」、全部出てきており・・今更ながら、歌仙(連句)における言葉の「独創性」という考え方が、無意味とまではいわないにしろ影を薄くしてきます。我々の個々の表現の言葉のひとつひとつは、まさしく「共有」というべき一致に向かう 「one of them」であることを、思いました。


大岡は、「現代詩手帖」(昭和61年11月号)の連載インタビューに答えてこう言っています。

また、取り違えていたので訂正しました。
(昭和38年、国鉄東局特別扱承認第1657号。昭和33年6月10日第三種郵便物認可。昭和61年11月1日発行。第29巻第11号、


「楸邨さんの俳句をそのまま延長させたんじゃなくて、それに対する僕自身の解釈・批評というもの、それをも詩にしているという点が、僕のその試みの中心的な支えだったのね。/創作と批評を同時に一篇の詩の中で実現してしまうというやり方をこころみたわけ。」

(楸邨の句の賛美というこtで始まったのだが、出来上がってみると、その句そのものも別の時空へひきずりこもうということだから、)
「楸邨の俳句の面白さを、現代詩のおもしろさとして、別の形で表現したいということだったから、(自分からすれば)全体として他者の呼び込みであり、他者に呼ばれて自分もどっかに行っちゃおうということでもあったわけです。これは要するに連句の付け合いと根本的には等しいものであったわけです。」
   「現代詩手帖」(昭和38年11月号)《あらゆる詩歌が場を得ている言語の共和国へ》


このように、詩の言葉以外の批評文のフレーズにも、紹介したいところは沢山ありますけれど、要は、どのようにしたら、世界全体を表現できるのか?という理想にとりつかれていた詩人なのかもしれません。

大岡のこの詩篇は、加藤楸邨の一句が放つ象徴性の凄さというところに帰ってくるように受け止めたのですが、同時に、一句が全体の中で目立たなくなる、ということも象徴機能のひとつであることも、考えさせられました。
俳句とは何?連句とは何?詩とは何?批評とは何?

断片的に紹介しているこの長いインタビュウ【トピカから始まる⑩】は、連載10回目でしたがこの回で終わりです。どこかの単行本になっていますか?あるいは全集のどこかに。ご存知であれば、教えてください。

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覆へるともの巻 評釈4

 投稿者:ゆかり  投稿日:2017年 5月 2日(火)05時15分29秒
  ナウ お辞儀して太古の汗を拭かずゐる    河

 『悲歌と祝祷』には加藤楸邨の句を五句、そのまま詩に組み込む試みが行われている。楸邨の句につけられた傍丸は、ネット上では再現できないので行の終わりに一字おいて○とする。

和唱達谷先生五句

暗に湧き木の芽に終る怒濤光 ○
鳥は季節風の腕木を踏み渡り
ものいはぬ瞳は海をくぐつて近づく
それは水晶の腰を緊めにゆく一片の詩
人の思ひに湧いて光の爆発に終る青

 *

つひに自然の解説者には
堕ちなかつた誇りもて
自然に挨拶しつつある男あり
ふぐり垂れ臀光らしめ夏野打つ ○
受胎といふは 機構か 波か

 *

蟹の視野いつさい氷る青ならむ ○
しかし発生しつづける色の酸素
匂ふ小動物にはつぎつぎに新しい名を与へよ
距離をふくんだ名前を
寒卵の輪でやはらかく緊めて

 *

水音や更けてはたらく月の髪 ○
地下を感じる骨をもち
塩をつかんで台所にたつ
謎の物体が目の奥を歩み去るとき
好(す)キ心の車馬はほのかに溢れる

 *

石を打つ光の消えぬうちに
はてしないものに橋梁をかける
掌(て)から発するほかない旅の
流星に犯されてふくらむ路程
喇嘛僧と隣りて眠るゴビの露 ○

* 達谷先生--達谷山房主 加藤楸邨氏

 銀河の句はこの第二連に拠っている。付け筋としては前句の地理的に対し、本句では時間的な遠方としている。

    アンモナイトの生れて大陸      太

 時間的にさらに遡っている。

   あをいろの点描で描く友のかほ     槐

 まったく転じている。槐によれば大岡の親友でもあった画家サム・フランシスの青をイメージしたという。

    うたげあたたか孤心を生きて     令

 評論集『うたげと孤心』(集英社、1978年)に拠っている。友とのうたげの一方で、孤心を生きるのだという。

   朝といふ朝の窓辺にひらく花      庵

 そんな孤心に対し、これでもかとばかりに花が開き語りかける。「窓辺」は世界との接点である。

    蝶うつろへる折々のうた       こ

 「朝といふ朝」といえば、朝日新聞朝刊に連載された大河的アンソロジー『折々のうた』だろう。ジャンルと時代を超えて「うた」を渉猟した故人のすがたと蝶が重なっている。そしてまた、発句に詠まれた「石のつら」の意味を思う。こうして人類の文化が循環している。
 

覆へるともの巻 評釈3

 投稿者:ゆかり  投稿日:2017年 5月 2日(火)03時23分56秒
編集済
  ナオ 春の野に燃やす記憶と現在と      槐

 詩集『記憶と現在』に拠っているわけだが、抑えがたい感情の高まりを感じる。

    新聞社にて訳す英文         令

 そんな学生時代を封印して就職したのだろうか。伝記的な事実としては、大岡信は読売新聞社に就職し外信部に在籍した時期がある。

   バンカラの一高生が辞書を食ふ     庵

 これもまた伝記的な事実として、大岡信は旧制一高を卒業している。その事実と、中学あたりでいまだに語り継がれる「昔の人は辞書の単語を覚えるたびにそのページを食べるくらいの覚悟で勉強していたんだ」というなかば法螺話を組み合わせている。

    おおそれみよと揺れる桟橋      こ

 外国語つながりで、「地名論」(『大岡信詩集』(思潮社、1968年)所収)を引用している。言葉遊びの楽しさに満ちたこの詩は、部分的に紹介しても面白さが伝わらない。

地名論

水道管はうたえよ
御茶の水は流れて
鵠沼に溜り
荻窪に落ち
奥入瀬で輝け
サッポロ
バルパライソ
トンブクトゥーは
耳の中で
雨垂れのように延びつづけよ
奇体にも懐かしい名前をもった
すべての土地の精霊よ
時間の列柱となって
おれを包んでくれ
おお 見知らぬ土地を限りなく
数えあげることは
どうして人をこのように
音楽の房でいっぱいにするのか
燃えあがるカーテンの上で
煙が風に
形をあたえるように
名前は土地に
波動をあたえる
土地の名前はたぶん
光でできている
外国なまりがベニスといえば
しらみの混ったベッドの下で
暗い水が囁くだけだが
おお ヴェネーツィア
故郷を離れた赤毛の娘が
叫べば みよ
広場の石に光が溢れ
風は鳩を受胎する
おお
それみよ
瀬田の唐橋
雪駄のからかさ
東京は
いつも
曇り

   海鳥は下から上にまぶた閉ぢ      り

 前句「桟橋」から導かれている。「少年」(『悲歌と祝祷』所収)に次の一節がある。

さうさ
海鳥に
寝呆けまなこのやつなんか
一羽もゐないぜ


 どうでもいい話だが、調べてみると鳥は人間とまぶたの構造が異なり、下から上に閉じるらしい。大岡の勇気を鼓舞する詩句を俳句の客観写生の方法で捉えなおすと、こんなことになってしまう。

    雪の純白くぐる恍惚         河

 前句「海鳥」から導かれている。ホワイトアウトする眩暈を感じる。

   食卓に置かれ真珠のネックレス     太

 前句「純白」から導かれている。物質感がある。

    汝が泣くときの宝石のこゑ      槐

 岡倉天心とインド人女性との往復書簡集『宝石の声なる人に―プリヤンバダ・デーヴィーと岡倉覚三*愛の手紙』(大岡玲との共訳、平凡社、1997年)に拠る。前句「真珠」と直接的に障る気もするが、こちらは宝石ではなく「こゑ」だと捉え、そのまま頂くことにした。このあたり、初折裏で機会を逸したままの恋の座の呼びかけとなっている。

   重信と苑子に夜の訪問者        令

 大岡信と高柳重信の親交は「船焼き捨てし船長へ 追悼」(『地上楽園の午後』(花神社、1992年)所収)に詳しい。1956年に『短歌研究』誌上で塚本邦雄と「前衛短歌論争」を行い、そのときに塚本の俳壇における盟友と目されていた重信と出会い意気投合したということらしい。この連句の発句とした「祷」が重信の多行俳句をなぞらえた短詩であったことを思い出しておこう。

    浪漫渡世遠く秋立つ         庵

 夜の訪問者は大岡信だけではなく、高柳邸には加藤郁乎、佐佐木幸綱などの大酒飲みが訪れたらしい。そのような古き良き交流を「浪漫渡世」と呼んだものだろう。

   ファザーネン通りをおほき月のぼる   こ

 大岡信の仕事は世界規模の連詩に及ぶ。アルトマン、パスティオール、谷川俊太郎との共著『ファザーネン通りの縄ばしご--ベルリン連詩』(岩波書店、1989年)を踏まえているが、前句の「遠く」がじつに効いている。

    途絶えがちなる夜寒の電波      り

 月から微弱な指令が人類に送られているイメージ。大岡を離れ『二千一年宇宙の旅』が混信している。
 

覆へるともの巻 評釈2

 投稿者:ゆかり  投稿日:2017年 5月 1日(月)22時55分51秒
編集済
  ウ  校庭に朝顔からみつく木馬      媚庵

 前句「孫三たり」から導かれているが、夏休みであろうか。遊具に朝顔がからみついている。

    たがひちがひに灯すランタン   れいこ

 校庭にひと気がない時期、じつはキャンプに行っていたようである。

   森といふ夢の過剰を鎮めをり      り

 森はなんとも怖ろしい。大岡信の「青春」(『記憶と現在』(書肆ユリイカ、1956年)所収)の一節「あてどない夢の過剰が、ひとつの愛から夢を奪った」を引用している。

    窓に記憶を残しさよなら       河

 同じく『記憶と現在』から「二十歳」の一節「すでに整然たる磁場はくずれた。私は沙上をさまよい歩く。私は窓に記憶のノートを撒き散らす。落日。森の長い影が私の内部に伸びている。私は夜に入ってゆく。」を引用して付けている。前句から恋に転じる可能性もあったが、未遂に終わっている。

   山男マッキンリーから帰らざる     太

 前句の「さよなら」を死別と捉え付けている。ところで、大岡信は若くして山男の友人を膵臓癌で喪い、「薤露歌」という詩を残している(『悲歌と祝祷』所収)。一部を紹介する。

浪華の市長の弔電なんか
もらつたつてなんになる
活力と善意のかたまり
陽気な笑ひ スキーの陽やけ
脳髄に中国近代史をつめこんで
それを陳(なら)べてみせるまもなく
きみはすべった 直滑降の非時(ときじく)の坂を

    凍てし月より石を拾はむ       槐

 厳寒の雪山のイメージを受け、一風変わった冬の月の座としている。アポロ計画の時代にも思いを馳せているのだろうか。

   最大の平面の夢受胎すと        令

 クレーターだらけの月面のイメージからの推移だろう。大岡信は『ユリイカ』に連載していた「文学的断章」の記事「ある詩のためのノート」(1972年7月号)で、「木霊と鏡」の推敲過程を公開している。その中の以下の一節から引用している。原詩の命令形に対し、しかと受け止めた体となっている。

地上のものらを地上の色に着色するため降りそそぐ
宇宙の雨のささやき
「受胎せよ 受胎せよ
無言を受胎せよ
最大の平面の夢
最小の運動の脈
どもる会話の泉
謎への信頼
抑揚ある造物主の呼吸(いき)
それらを脳の水盤に
受胎せよ

    今朝のうたこそ生の賜物       庵

 前句の「受胎す」に付けている。明示的ではないが、「今朝のうた」は朝日新聞朝刊に連載されていた『折々のうた』へのオマージュとも考えられる。

   付喪神つれて質屋の旗の下       こ

 生命の謳歌である前句に対し、飄逸にも無生物を質に入れ、しかも付喪神という得体の知れないものまで詠み込んでいる。ここまであまり笑う場面もなく進行してきたが、みごとに雰囲気を変えている。

    泡立つてゐる発語本能        り

 付喪神という得体の知れないものにも言語コミュニケーションが存在することを仮定して付けている。「発語本能の泡立ち」は大岡信の初期の評論『現代詩詩論』の中で以下のように使われている。

(前略)
激しく生きるということはまず第一に、詩人が自らの内部に強烈な発語本能の泡立ちを感じとるということだ。しかし、発語本能というものは、常に何らかの形で外部から触発されて働くものである。だから、すべての前提条件として、まず彼にはげしい抵抗感を感じさせるものがなければならぬ。しかし現実には、われわれの周囲ではそうした抵抗感を持つものが、しだいに一種垂れさがったような印象を与えるものに変わっているようだ。これを沈滞とよぼうと、相対的安定期とよぼうと、または混乱とよぼうと、現実の事実としては社会全体が病んでいるとしか言いようがない。この時詩人が思想的にいかに健康であっても、彼の感性はこの病毒の影響を最も直接的に蒙るであろう。焦ってこれを拒もうとすればするほど、詩は観念的な独白、あるいはヒステリックな叫びに陥る危険に直面せねばならなくなる。つまり、感性の受ける傷は彼の批評精神をそこねるのだ。従って、おのれの詩人としての宿命を頑なに信じて書ける詩人だけが、たしかな骨組みを持った詩、つまり詩としての普遍性をそなえた詩を書きうるという、真実だが、今日では些か皮肉な現象が起こってくるのだ。今日詩を書くということは実に難しいことである。
(後略)

   掃除機に吸ひ込まれゆく花の闇     河

 『ぬばたまの夜、天の掃除機せまつてくる』(岩波書店、1987年)に拠っている。吸い込まれるのは「発語本能の泡立ち」なのか「花の闇」なのか。いかんともし難いハイパワーが迫る。

    いそぎんちやくのひと日は過ぎぬ   太

 そんなことはなかったかのように、磯巾着の平和な生態が描かれる。なかなかな転じである。
 

覆へるともの巻 評釈1

 投稿者:ゆかり  投稿日:2017年 5月 1日(月)14時52分19秒
編集済
   4月5日に亡くなった大岡信氏を偲び、脇起こしで連句を巻いた。今回はいつもの連衆に加え、特に歌人の田中槐さんと柳人のなかはられいこさんに参加して頂いた。以下、評釈を記すにあたり、本連句の句そのものはゴシック、評文中の大岡作品の引用は青字、その他の引用は緑字とし、また敬称略とする。

    脇起し追悼七吟歌仙 覆へるともの巻

   覆へるとも花にうるほへ石のつら  大岡信


 発句は『悲歌と祝祷』(1976年、青土社)巻頭、「祷」という題の行分け詩。

  祷

覆へるとも
花にうるほへ

石のつら


 その原型は丸谷才一、大岡信、安東次男による『だらだら坂の巻』名残裏花の座「くつがへり花にうるほふ石の面(つら)」とのこと。谷川俊太郎と大岡信の対談『批評の生理』(1978年、思潮社)に谷川による名鑑賞がある。長くなるが引用する。

この詩から僕は、はじめはなんとなく道端でひっくり返っているお地蔵さんというイメージを持って、「石のつら」の「つら」は顔のことだから、お地蔵さんが顔をうつ伏せにして倒れているのかなと思った。だけど考えてみると「つら」は「おもて」とは違う。顔でも頬から顎にかけての横の面の表現だ。これはやはり横ざまに、たぶん丈の低い野草の中に倒れているのではないか、というふうにイメージが変った。
そうして考えてみると、今度はこれは別にお地蔵さんでなくてもいいのじゃないか。「石のつら」というのを人間の顔に重ね合せて考えなくてもいいわけで、もしかするとうつ伏せに倒れた墓石の横の面であるかもしれない。またそこからさらに連想して、これはいかにも日本的な詩のようでいて、しかしギリシャの遺跡で大理石の柱が原色の花のなかに倒れ伏していると読んだっていいのじゃないか。そのどれが正解というのではなくて、そこまで重層的に読めるという気がしてきた。
とにかくこの一篇の主題は、滅亡したものがそのあとも花という現在によってうるおってください、そういう形で過去というものが現在に蘇り得るのだ、というテーマだろう。そういう「石のつら」がなければ花というものもその存在を明らかにしないのだっていう気持がこめられていると思う。つまりこの詩の「花」は『花伝書』の「花」なんかにつながる現在の象徴で、「石」は過去の象徴だと読めるわけね。だからそこにはまた、過去というものが石のように堅固で確乎として存在するものであるのに対して、現在というのは花のようであり、それは早く萎れたり枯れたりするものだという対照もあると思う。この詩の題が「祷(いのり)」であるということのなかには、大岡が自分自身および自分の生み出す作品が未来においては石であることを願うし、現在においては花でありたいと願う、あなた自身の願望がこめられているのじゃないかという気がする。(後略)

 大岡信追悼歌仙を巻くにあたり、発句としてはこの詩をおいてないのではないかと思われた。行分け詩を一行にしてよいのか、とか、連句の発句として花の座で始まってよいのか、など躊躇すべき点はないわけではないが、まさに花の盛りに亡くなったわけだし、敢えて頂くこととした。

    ひかりをまとふ木々の囀り    ゆかり

 脇は、そのような「石」が対峙する現在として、「ひかり」と「囀り」を供えた。

   上海の地番に春の風抜けて      銀河

 第三は、発句と脇の挨拶から離れる役割がある。大岡の詩「延時(イエンシー)さんの上海 中国」(『旅みやげ にしひがし』(集英社、2002年)所収)を引用して、上海の春に転じた。余談ながら、この詩の題材となった、昭和十年に上海で他界した大岡信の祖父は、かなりミステリアスな人物のようである。

    摩天楼にて蟹を楽しむ       伸太

 引用元にこだわることなく、昨今の上海事情にて付けている。

   踊るひとつぎつぎふえる月あかり    槐

 摩天楼のふもとでは昔ながらの盆踊りが今も続けられていて、月あかりに照らされている。

    孫三たりとのメイル爽やか      令

 前句「つぎつぎふえる」から導かれているが、これは大岡信が2004年宮内庁歌会始の召人として詠んだ「いとけなき日のマドンナの幸(さっ)ちゃんも孫三たりとぞeメイルくる」を引用している。
 

伸太さん

 投稿者:ゆかり  投稿日:2017年 5月 1日(月)13時06分4秒
   いえいえ、こちらこそ失礼しました。しばらく皆さんの書き込んだエピソードを参考にしながら、「覆へるともの巻」の評釈を連投で書きます。  

(*´∀`*)・・・。伸太さん、楽しい方ですね。

 投稿者:銀河  投稿日:2017年 4月28日(金)22時42分2秒
  ゆかりさん、まあいいじゃありませんか?今が、閑話休題の時間。私が歌会に出す歌より、よくできていらっしゃいますよ。

伸太さんは、詩歌の世界にお詳しいのですか?短歌をされているのですか?
 

ここなら

 投稿者:ゆかり  投稿日:2017年 4月28日(金)21時58分38秒
   はあ、何を考えていらっしゃるのかよく分かりませんが、自作を開陳されたいのでしたら、ご自分のところで好きなだけやって下さい。  

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